システム制御情報学会誌 2001年4月号
読者の広場より


 書評:算聖伝 関孝和の生涯
                    キヤノン(株) 涌井 伸二

 いにしえの時代,芸事の一つであった算術は,没後に算聖と呼ばれた関孝和によって学となった.世話物を得意とする異能の作家鳴海風が『算聖伝 関孝和の生涯』という長編小説を著わした.巧みな人物造形が孝和の人生を生々しく伝えている.小説の梗概を述べてみよう.
 舞台は切支丹屋敷で,物語りはデカルトの弟子による座標幾何学の講義風景から始まる.宗門改め奉行井上筑後守政重の甥と噂される孝和は,講義に用いた円周率が日本の値と異なることを見抜く.牢獄を備えた屋敷は孝和の研鑽の場である.大樹の梢から,獄につながれる神父の不思議な行動を目撃する.日影観測だろう.だから,数学を知っているに違いない.そこで,政重に面会を願い出る.名はキアラ.孝和の学びへの熱意が,囚われの境涯をこえて知識を教える神父の使命と,心の深奥にある悦びとを呼び覚ます.充たされた一問一答のときが流れ,師弟の契りを固くしていく.―孝和の数学開眼に神父の関与があったという設定である.門外漢には意外と感じられよう.しかし,世界に誇れる和算の発展に宣教師が関係していたことは和算史研究によって明らかとなっているという.深淵のような学問的事実を踏まえて物語りを創造していることに驚かされる. 
 屋敷内の生活は,次第に孝和には重苦しくなる.飛翔のときである.そんなとき,入牢の少女を目撃する.瞳に憂愁の青空を湛える切支丹孤児アプリルに,孝和は胸の高鳴りを覚える.そして,欝屈の発露は,アプリルとの捕縛を覚悟した逃避行となる.ここに,孝和の成長を看取した政重から出生の秘密を打ち明けられる.孝和は,生あるの根元が判然としない切支丹孤児であると.そして,籠の鳥孝和は,政重の掌の中でついに屋敷から解き放され,駿府の豪商松木家へ遊学を命じられる.心洗われる風光の地で,万巻の書を読破し,新しい数学の知識を貪欲に吸収していく.また,松木家に寄宿する学者との邂逅によって次第に興味を暦学に傾斜させていく.そのとき,政重が亡くなる.遺言で,甲府藩は勘定組関家の養子となる.ここから,勘定見習い関孝和としての人生が始まる.実直な月日の中で優れた数学者礒村吉徳と出会い,そして研鑽を積み上げ,初めての著作『規矩要明算法(きくようめいさんぽう)』をものにする.続いて,中国伝来の代数学『天元術(てんげんじゅつ)』に出会う.これを利用しつつ独自の工夫を盛り込んだ『発微算法(はっぴさんぽう)』を著わし,日本の数学界に関孝和ありと知らしめることになる.―著者は磯村の口を借りて孝和に言う.「自分だけにしか出来ない新たな解法の工夫をせよ」と.このとき,孝和は脳髄に痺れた陶酔を覚える.いまも変わることがない研究者の性である.一途な業である.ここに,特に理工系の読者だったら,もちろん痺れを覚えることであろう.
 孝和は,藩主徳川綱豊(六代将軍家宣)のもとで勘定吟味役に昇進する.御前にて改暦作業を急ぐよう指示される.最初の天文書『授時発明』を皮切りに数々の著作によって改暦の基礎を固める.しかし,碁所(ごどころ)四家の一つ二世安井算哲によって,宣明暦(せんみょうれき)から貞享暦(じょうきょうれき)への改暦は成就する.先を越されるのである.孝和は慌てない.暦学に資する数学の課題を愚直に解明し続けるのである.この間,孝和は妻幸恵を娶る.幼少の頃に胸を焦がし,青年に至って終生の伴侶と思い定めた切支丹アプリルとは添い遂げられない.でも,自分の血脈は残したい.だから,妻を迎えたのである.しかし,老境に入って授かった二人の娘を相次いで亡くす.「人の親となれて,本当にうれしい」と感涙の孝和から,二親の温もりを知らぬその孝和から,娘達は黄泉へともぎ取られる.―著者はキアラの口を借りて言う.「才能を自分で意識している孝和は,神から最も遠い存在である」と.才能に自信をもって,しかし精進は怠ることなく仕事を愛し続けた孝和をこのように位置づける.「神は高ぶる者をしりぞけ,へりくだる者に恵みを賜う(ペテロの第一の手紙)」からなのであろうか.何故なのだろう.詮無い繰り言とわかってはいるが,不条理に悶えてしまうのである.
 ついに,孝和は最期を迎え死の淵に沈降していく.去来することは,生きた証を遺すべく打ち込んだ和算のことでも,尽くしてくれた妻のことでもない.蝶のように舞うアプリルの幻影をみる.追いかけて抱きすくめたとき至福が訪れ,その刹那に息を引き取る.―神ならぬ人としての性を見事に浮き彫りにしている.それが,胸を切なく締め付ける.
 本小説は,綺羅星の如き和算の業績目録書である.切支丹禁制下において,深謀遠慮のもしくは短兵急の為政者が居て,それぞれに翻弄された被抑圧者の物語りである.この時代に生き,歴史の教科書にたった一行で紹介されている関孝和の人生を,歴史的事実に創造を交えて蘇生させた書物である.なによりも,人の心の襞を描くに長けた鳴海風の世界を魅せる書である.秀逸な小説は,人生を二度生きたように錯覚させてくれる.煩瑣な現実に引き戻されたとき,少し前の自分と違うことをきっと知るであろう.

(鳴海 注:技術論文集なので、点や丸はカンマ、ピリオドになっています。

       掲載を快く了解していただいた涌井さんに感謝いたします)